思春期のアトピっこへ
私自身以前は、アトピーである自分を見られるのがとても嫌でした。アトピーがうまく隠せている時は笑えても、隠しきれない時は笑ってなんていられませんでした。
それに「痒い」とか「アトピー」というワードを人前で使うのがとても怖かった。
だからあなたの気持ち、とってもよくわかります。
でも、その時の感情が不可避なものであったかというと、そうでもないようです。
現在の長男を見ていると、疲れなどで軽いアトピー症状が出て、人に見られたとしても「今、こうなんだよね〜」と普通に話して、堂々としています。
両者の決定的な違いは、アトピーを悪者として生きてきたか、アトピーは体の頑張りだとして生きてきたかです。
症状があるから自信を持てないのではなく、前提の違いによって、振る舞いの違いが現れます。
否定から肯定に変化する時は、オセロのコマをひっくり返すようなイメージではなく、分度器の左にあるメモリが、少しずつ右に動いていくようなイメージです。
今ある考え方は、ここまで生きてきた全ての時間を使って作られた考え方だから、そう簡単にひっくり返りはしません。
だけど、逆に今の考え方がゆっくり作られていったように、アトピーに対する考え方も少しずつ変化していきます。
私もかつては、アトピーが自分のために起こっているなんて、口が裂けても言えませんでしたが、今ははっきりと言い切ることができます。
ですが、ここにくるまでは、しばしの時間がかかりました。
基礎も作らず、構造も適当に塔を建てたら、作業は早いけれど、風や地震ですぐに崩れます。
でも、基礎も構造も強い塔であれば、時間はかかっても、頑丈でそう簡単には崩れません。
思考の変化も時間はかかったけど、それは知識と経験が結びつくための時間が必要だからです。それこそが強い軸となるのです。
その変化の中で、長男にかける言葉も、自分自身にかける言葉も変化してきました。そしていつの間にか、堂々としていられるようになったのです。
肌がきれいだから、美人だから、足が速いから、頭がいいから、お金持ちだから。
条件付きで自分を愛そうとすると必ず苦しみが生まれます。
それらを失ったら、自分自身の価値も無くなってしまうのでしょうか?そうではないですよね。
恐るべき仕組みを持って命を維持し続ける、この素晴らしい体と心に、毎日ありがとうと言える日々に向かって、分度器のメモリを少しずつ動かしていただけたら嬉しいです。
「あなたの体は素晴らしい!」
今の私は自信を持ってあなたに声をかけることができます。